沙羅からのお便り 2013年8月18日

残暑お見舞い申し上げます。

夏の思い出…。

虚弱だった少女の頃、夏休みになると私は父の魚釣りによくついて行きました。

父は釣り糸を垂れてしばし一時、ぴくとも動かない浮に「ここには魚が住んでいない」と見極めをつけます。「向こう岸へ行くぞ!」

川下の橋まで歩くのが面倒なのでしよう。釣道具を頭の上に乗せての器用な「立ち泳ぎ」で川の向こう岸へ進んでいきます。

「つかまって足をバタバタやってれば進むから」と半ば朽ちた流木を私に投げてよこすと、どんどん泳いで行ってしまいます。河口に近い川の幅は広くて流れも結構速く、目的方向に進むのは難しいのです。小学3年生ぐらいだった私は泣きながら必死にバタ足をし、父を追いました。

乱暴な父のおかげで小学6年生のころには、橋の欄干から川に飛び込んで、水遊びをする超元気なお転婆娘に育っていました。

焼けつくような太陽の下、毎日海水浴に行っていました。麦わら帽子と水着の肩にタオルをかけたままのいでたちで、夷隅川の橋まで15分ほど歩き、海水浴場行の蒸気船に乗ります。蒸気船といっても少し大きめの川船にモーターをつけた簡便な船で、定員をオーバーすると船べりから水が入りこみ沈没寸前の危険な状態を知らせます。すると元気な若者たちが数人自主的に水中に飛び込みます。おかげで軽く安全になった船は女子供を海水浴場まで運んでくれました。安全基準なんてものがあったのでしょうか。

薬ばかり飲んでいた幼い私は、九十九里南端の海辺の故郷で、太平洋の向こうにあるアメリカ大陸に思いをはせたりしながら、太陽の子、海の子に変身しました。

成人しても変わらず、海水浴と山行に冬のスキーが加わり、太陽の下で過ごす時間が多く、日焼けからさめることはありません。今だったら皮膚疾患に悩まされているかもしれません。

親しんだ山歩きとスキーは古希を迎えて中断しています。

なんという長い年月が過ぎたことでしょう。貧しかったけれども安心して暮らせた時代でした。

沙羅は夏季休暇が終わり今日からステージが始まります。またお目にかかれますように!

沙羅 店主