桜が散ってつつじがきれいな季節になりました。
有名な桜の名所でなくても良い。ただ、ただ桜が好きなのです。
河津桜、伊豆高原の桜、高遠の、東北花見山の桜、市川真間川・・・。春は忙しい!
上野公園はあまりに人が多いので、博物館の庭を歩く、池のほとりに茶室などがあり、風情があって好きな桜です。

4月初旬に長崎へ旅をしました。気の置けない仲間の3人旅です。

坂本龍馬の像が立っている風頭公演の桜が満開。高台なので山すそから風が吹くと花びらが下から吹き上げられて舞い落ちる。その桜の木の下でボランティアらしき男性が、散策の客に熱心に竜馬を語っている。T子が説明を聞くことになった。司馬遼太郎著「竜馬がゆく」がそのまま語られているようだ。私が声をかけ、T子が彼から離れたらもう一人の仲間が捕まった。ベンチに腰を掛けて話が終わるのを待つ。
「お団子でも買って来たかったわね」「ウンウンみたらし団子ね」などと言いながら待つ。いつまで待っても説明は終わらない。ずいぶん昔のことだけれど勤務先の先輩で「竜馬がゆく」を熟読し毎日熱く話題にしていた人がいた。
「竜馬」は男たちを魅了し続ける男なのだろう。この説明人も「竜馬が好きで好きでたまらない人に違いない」聞いてあげるのも「ボランティアかも」。

ちゃんぽん、卓袱料理、中華、新鮮な魚と和食・・・。旅の行程は人任せで、食のスケジュールだけは私が作成した3泊4日ののどかな春の旅でした。万歩計が毎日12,000歩強を数えている。健康で美味しい食事ができる日々に感謝!です。

沙羅からのお便り 8月1日

 

「暑いですね」ご挨拶の日本語は、これしかない・・・そんな毎日です。

日本にはもっと美しい夏の言葉がたくさんあるはずなのに。

沙羅の喫茶タイム Sara Art Cafeでは「朗読カフェ」を開催しています。

” 終焉の時を迎えたという元彼からの伝言、「会いたい」と。
思い出したくない、自分自身をも嫌悪した暗い闇の時代。
ゴシゴシと消しゴムで消し去ったはずの時がよみがえる。
若さゆえの錯誤、過ちの年月。
どこかで、「もういいじゃないか。」の声が聞こえる。
「人はみな重ねた年の数だけの思いを持って生きているのだから。」の声がする。”

山本周五郎の時代小説、夏目漱石の夢十夜、自作の文章、素敵な静かなひととき、感動に出会える時間を楽しんでいます。

朗読のお教室で研鑽を重ねたベテランの方、そうでもない方、それぞれの個性がご自身の感動を伝えてくれています。

私には幼いころ、「良い子」にしていないと、怖い叔母から叱られるので、人形遊びと読書だけが家の中での友達だった。そんな思い出があります。

忙しさに追われて、すっかりご無沙汰をしていた読書の時間が戻ってきました。

「シャンソンは人生を歌う文学」シャンソンの歌詞を音読するのもまた素敵な味わいがあります。どうぞ、一度お出かけくださいませ。

 

「朗読カフェ」は毎月第1土曜日、14:00~です。

 

沙羅店主

沙羅からのお便り 2月1日

 

山の仲間たち

森の中の温泉を楽しんだ翌朝、二夫婦は下りホームへ、私だけが上り新宿行きのホームへ。昼過ぎには沙羅へ戻らなくてはならない。
電車の中でふっとわらいそうになる。
「ゆり子さん、もう一度涸沢へ行きたいよ。ねえ、行こうよ! 涸沢に転がってさ、西穂のてっぺんが夕陽を浴びて真っ赤に染まる……。もう一度見たいねえ!!」
湯上りにたくさん呑んで少年のように叫ぶかつての山男。
私が穂高連峰に魅せられて通い続けることになった夕暮れの山、赤く染まった西穂高の山頂が一瞬白く輝き、やがてあたりは闇に包まれてゆく。自然が創り出す一幅の絵のような景色が蘇る。数年前の秋、季節外れの吹雪の彼方に見た紅葉の涸沢が最後の北アルプス行きだった。

脊柱管狭窄症に悩まされている男二人、
「フルマラソンはしんどいから、最近はハーフにしたの」元気なT子さん、毎日ジムに通って健康保持に努めているA子さん。二人の妻たちは夫たちの話をニコニコと笑いながら聞いていた。
ホントに出かける気?! 登山靴は何処にしまったかしら? と思い始めている自分に驚く。老人部隊は無事に目的地へ辿り着けるのか? ま、梓川の清流と化粧柳のやさしい緑に出会えれば良し、として登山靴とザックを探そう。

沙羅店主

夏のある日 山の小屋で

重なり合った落葉松の枝葉の向こうに青い空と白い雲が見える。永住を決めた近所の奥さんからいただいたブーゲンビリアの赤い花が、ベランダの白いテーブルと庭の緑に映えて美しい。赤い腹をした青い羽根の鳥が彼方から此方の枝へと遊んでいる。
ここは標高1400メートル、気温は19℃。ベランダはjひんやりとして涼やかです。
私は肩にストールをかけ、ひざ掛けをして、眼鏡を掛けて…。小さくて読みにくくなった文字、…本は変わっていない、私の目が古くなったのです…文庫本から目を離す。
部屋の中から夫が聴くジャズが聞こえる。ストールを胸の前で掻き合わせて、ガラスに映る自分の姿が可笑しい。

「ねえ、ね、わたし童話に出てくるネズミのおばあさんみたい?」
「よくお似合いですよ」夫の声、さらに「やや大きめですが」…嬉しくない。
こんなにのんびりできた夏休みは何年ぶりかしら。

息子は中国へ出張し、孫は中学生になっていろいろ忙しくなり、今年は一緒の休暇は無理かも、の気がしていたけれど、息子の妻は子供3人を連れて独りで大きなワンボックスカーを運転してこの小屋を訪ねてくれた。
孫たちと一緒の鱒のつかみ取りは面白かったし、久しぶりのゴーカードも面白かった。真夏だけ営業の湖畔の肉屋のコロッケの立ち食いもまあまあいけた。店の人とのジャンケンに勝つとおまけがつくソフトクリーム屋の遊び心も楽しい。

TVが「孫ブルー」というのを放映している。
「孫は疲れるから3時間ぐらいがちょうど良い」「お休みの間ずーっといるの、もうくたくた!!」私の周りには幸せの愚痴のような会話があふれている。それを今、社会問題のようにTVが大真面目に取り上げている。困ったものだ、の思い。子育てを終えて久しく縁がなかった幼な子が日に日に育ってゆくさまに驚き、困惑し、楽しくもあるけれど少々疲れる婆のひととときの会話が、「孫ブルー」という言葉でひとくくりされるのは困るなあ。

良いじゃないですか、痴話げんかみたいなものなのですから。

落葉松の枝葉の向こうの青い空と白い雲を眺めながらぶつぶつ独り言を言っていました。

 

沙羅店主

沙羅からのお便り 9月13日

 

私には子供の頃、「宿題は終わったか」とか「勉強をしなさい」とか言われた記憶がありません。

海で泳ぐこと、昔は未だ珍しかったボートを漕ぐこと、魚釣りをすることなどは父から。
お人形を手造りして、着せ替える洋服や着物を縫って遊ぶことは、母が一緒に遊びながら。
私は第二次世界大戦の終戦を五才の時北京で迎えました。
あまり丈夫でなかった私を無事につれて帰れないかも知れないと思いながら、苦労を重ねてやっと帰国した両親は、娘が元気ならばそれだけで幸せだったのかもしれません。
中学生になっても母は毎朝縁側で私の長い髪を三つ編みに編んでくれていました。わがままな娘に育ったように思います。
しかしひとつの屋敷の中に、私たち一家の住む母屋と祖母と大伯母親子が住む隠居所、もう一人の伯母一家が住んでいる離れ屋がある生活は穏やかとか和やかなものではありませんでした。
立場が違うそれぞれの個性に追われて、京都の街中で生まれ、昔にしては自由に育った母にとっては耐え難い過酷な環境だったに違いないことは幼い私にも感じ取れていました。戦争が無ければ母は都会で優雅に自分流の生活が出来ていたのでしょう。
私は大人たちの感情の起伏をじっと見ている娘に育ちました。

そして身内だけではなく、驚くような大人の世間を見たのは中学3年の夏休みでした。
発展途上でまだまだ日本は貧しく、中卒者の集団就職などが多くて高校の進学率は50%位の時代でした。
中学3年の夏休み、職業訓練という名目の授業(希望者だけ)が数種類発表されました。
その一つに興味を持って同級生5名で参加したことがあります。
臨海学校に来る他校の中学生のための売店の運営です。
宿泊所として小学校の教室が利用されました。期間は10日ほどだったように思います。
商店会が商品を15%?ほど安く提供してくれて「売店の販売利益は実習参加者で分けてよい」とのこと。
始めておとなの世界に触れるようなドキドキ感で始めました。
パンやお菓子、ノート、鉛筆などなど。担当を決めて毎朝街の商店から品物を受け取り机に並べる。お店やさんごっこの延長ですが、思いがけずよく売れました。
一日の終わりに記帳をして、夏休みが終わったら親からもらうお小遣いではない、始めて手にするお金をどうしようかなどと仲間と話し合ってときめいていました。
私は「映画が大好きな母と一緒に出かけよう!!」と。

でも、しかし、二学期が始まって教師から「ご苦労様でした」と手渡されたのはバインダーのノート1冊でした。
「先生!違うんではないですか!」気まずそうに教師は黙って去っていきました。
商店会のリーダーでPTAの役員だった瀬戸物屋の、薬局の小父さん、先生たち!!
「あの販売利益は誰のものになったのですか??」
私たちが楽しく面白く過ごした職業実習は「大人は信用してはいけない」という見事な実習体験を穢れない少女たちの心に刻み込んで終了しました。
「せこい男たち」田舎の小さな町のリーダーも大政治家もあまり変わりませんね。

ふるさとを出て数十年経ちます。
今はもう潰れてしまった瀬戸物屋の小父さんも、今も営業中ですがあの薬局の小父さんも、もういない。
好意的に解釈をして、PTAには逆らえないまま生徒の心を無視するしかなかったのかもしれない・・・、でも嫌いになってしまった担任の先生も、逝ってしまいました。
「思春期の娘たちの遠い遠い夏の思い出」
困惑する人はいないので、バラしちゃいました!

色々なこと、沢山の出会い、長い年月を生きて今、結構楽しくすごしています。

 

沙羅店主

久しぶりに北八ヶ岳の白駒の池を訪ねた。

白樺湖からビーナスラインを経て八ヶ岳横断自動車道を走る。
日本一高いところを走る横断道路で、最高地点は標高2000メートルを超える。カーブの多い登り道路、芽吹いて間もない落葉松の緑が美しく目に染みる。

昔、建築意匠を本業としていたころ、別荘や保養所などを建てる仕事でよくこの道を走った。夜道を、時には濃霧の山道を一人で運転しながら「今ここで車が故障したら私はどちらの方向へ歩けば人里に早く着けるのだろう」などと考える事が良くあった。電話配線など見当たらない山中で携帯電話も無い時代だった。
標高1700メートルほどで森林限界線を超えると景色は一変する。常緑樹が多くなり、木々の緑は重なり合って濃く暗く、日暮れてくると、グリム童話の深い森を思わせるような、魔女が現れそうな、少し怖い雰囲気を醸し出す。猿や狐に出会うこともあった。

道路が明るく快適な時やしっとりと雨が降るときは、いつも呟いていた。

落葉松の林をを過ぎて/落葉松の林に入りぬ/落葉松はさびしかりけり/落葉松とささやきにけり

落葉松の林の雨は/淋しけどいよいよ静けし/落葉松に落葉松の雨/落葉松に落葉松の声
・・・・

無意識に白秋を詠んでいた。

その道を今、夫と共にドライブをしている。

「よく、働いたわよね~」「うん・・・」
「あなたは8時半に家を出たら深夜まで帰ってこなかった・・・」「君だって同じさ」
「忙しかった。でも面白かった、おかげさまで。」

リタイアして10年。思い出を語る歳になった。

車を降りて整備された木道を20分ほど歩いて白駒の池のほとりに着いた。
シーズンオフの湖畔には絵を描く人が数人見えるだけで人影はない。山荘の主人がお茶を運んできてくれた。

私が、初めてこの小屋に来た時お世話になったのはこの主人の祖父にあたる人だとわかって、今更ながらびっくりする。なんと、なんと永い年月が経ったことだろう!!

「少し霧がかかると一寸先も見えなくなるのですよ、湖面がひたひたと揺れているような感じになります」と、ご主人。

そう!あの時もそうでしたそうでした!

山の仲間たちが八ヶ岳の主峰、赤岳集中登山を企画した時、私達女性群(5名)は北八ヶ岳を縦走して集合地赤岳に行くコースを選んで参加した。
新宿からの夜行列車を小淵沢で小海線に乗り換えて、更にバスで稲子湯に下車、懐中電灯を頼りにただひたすら歩いた夜道は深い霧に覆われていた。ふと目の前の乳白色の霧が揺れているのに気が付く。よく見るとそれはゆらゆらと波立っている湖面だった。足元にはひたひたと湖水が迫っていた。湖には木製のボートが2艘つながれている。目を凝らすと目的の小屋がうっすら目に入ってきた。もう一息!!と木立の中を先に歩く友の姿がひどく幻想的だったことを憶えている。

「何年か後には、この八ヶ岳を横断する道路ができるそうだ。俗化しないうちに北八ヶ岳の池めぐりをすると良い。山登りも良いけど、湖もそれぞれに趣があって、なかなか良いものだよ」と教えてくれたおじさんはもういない。私と同世代だったと思われるその息子さんも2年ほど前に逝ったとのこと。古い小屋と新しくなった木の香り漂う新館を案内してくれた。親から子へ、そして孫へ。この静謐な自然を守り続ける日常を、誇らしく話す誠実そうな黒い瞳をした青年のようなご主人が印象的だった。たくさんのオゾンと美味しいお茶と!!

「ありがとう!!また来ます」

別れの時の約束を守ろうと思う。

 

沙羅店主

ある日の午後

沙羅の近くの歩道で雀の雛を拾った。

近くの巣から落ちたのだろうか?

3~40センチほどは飛べるようだ。

放っておいたら猫か百舌鳥に襲われるに違いないと連れて帰る。

ずいぶん昔、次男とインコを飼ったことがある。

繁殖率が高く、どんどん増えることと、家の中に生き物を飼うのを嫌う夫がいることもあって狭い庭に小鳥小屋を造った。

広さ畳半帖弱、高さ1、5メートル程の小鳥小屋は親子共作でなかなかの出来栄えだった。

手乗りインコを育てたい子供の意向で餌付けをすることになった。 (続きを読む…)

寒い季節が終わったら、桜を追いかけている間もないほど急ぎ足で春が過ぎてゆきました。

今年は「市川巴里祭」をお休みすることにしましたら、ゆっくり過ごす時間が多くなり、外出の機会もふえました。 新緑の森林浴も良いけれど、久しぶりの銀座はやっぱり好き。昔ほどではないけれど、着物姿の粋な女性がネオンの街にちらほら見えて、 (続きを読む…)

 春の訪れは水の音(雪解けの)、陽の光のぬくもりと彩り。

日差しが優しく暖かくなって、菜の花、雪柳、連翹、あちこちに黄と白の花が咲き始める。
桜の花便りが聞かれる頃にはあたりは色とりどりの花でにぎわい始めます。
やっとやっと春が来ました。
土の中で虫たちが蠢き初め・・・私も外へ出てみる気になりました。

そこで早速失敗をしました。悲しい出来事でした。 (続きを読む…)

沙羅はおかげさまで開店27年目を迎えました。なんという長い月日が経ったことでしょう!
お客さまにも、ミュージシャン、私にも、それぞれの歴史が刻まれてきました。
最近は夜のステージにお出かけくださるお客様が少なくなり「沙羅の若返りに努力をしなければ」のご意見をいただくことがあります。私も同感なのですが、心の深いところで、長い間沙羅でお過ごしいただいたお客様とともにシャンソン、カンツォーネを聴きながら、 (続きを読む…)