久しぶりに田嶋陽子さんを囲んで松戸智絵子、吉野ひかりさん二人の歌い手さんと共に楽しいコンサートのひとときを過ごしました。

「ひかりさんが『頬に汚れがついています』と教えてくれたので鏡を見たら、これがね なんと〈シミ〉なのよ!!」ステージ衣装に身を包み、マイクを手にした田嶋さんの最初のトークに会場が笑いに包まれました。 少し視力が落ちてきた人、若人の艶やかな肌は遠い日の思い出の方々・・・同じ世代のお客様と一緒に私も噴出していました。 (続きを読む…)

暑中お見舞い申し上げます。

お元気でいらっしゃいますか

パリの街をゆっくり歩いてみたい・・・。長年の夢が叶って数日をパリで過ごしました。

パリ散策

淡い黄緑の木の芽が日を追うごとに新緑に変わってゆく。なんという美しい並木道なのだろう!
建物の高さがきれいに揃っている。東京でも丸の内にあった三菱の赤レンガのビル街は風情があって絵になる美しさがありましたけれど、いまでは遠い過去の風景です。 (続きを読む…)

6月20日(金)夕刻〜市川巴里祭Vol.20. 歌物語りを開催しました。市川市文化会館小ホールでの開催は10年ぶりです。

 紫陽花の花が雨に濡れて美しい季節、梅雨の季節に開催を続けて来た「市川巴里祭」は雨に降られてことは一度もなく、20日の夕刻も少し風が吹く好天に恵まれました。

「巴里へ! 1万2千キロ 歌人 与謝野晶子の恋の旅歌」森まゆみ著『女3人のシベリア鉄道』集英社刊の中から、情熱の歌人与謝野晶子のパリへの旅をモチーフにプログラムを組みました。 (続きを読む…)

待ちかねた桜の季節は足早に過ぎて爽やかな風が心地よい頃になりました。雨に濡れた紫陽花が美しい季節! 市川巴里祭の開催をお知らせ申し上げます。昨年19回巴里祭の折、20回目は開催できませんと皆様にお話ししました。「最後だから」とチケットをお求め下さった方もいらっしゃいました。 齢を重ねて、夫の病、元気だった兄の逝去などを経て、健康を取り戻した夫と春は桜を愛で、のどかな旅などをしようと思っていましが、出演の歌手の方々やお客様の励ましやご協力を得て20回目のパリ祭を開催できることになりました。 初心に還って、沙羅に関わってくださるミュージシャンの方たちと共に手作りで少し個性的な20回目の市川巴里祭を創作中です。 (続きを読む…)

沙羅からのお便り 3月29日

桜の開花便りが聞こえてきます。

沙羅では例年ですと市川巴里祭のご案内のチラシなどを発送しいる季節です。沙羅のパリ祭は今年20回目を迎えるわけですが、お休みをしたいと思っていました。少し疲れたのかもしれません。のんびり旅でもしたい気持ちもありました。
でも、やっぱり開催に向けて準備を始めています。
初心に帰って沙羅に関わってくださっている歌い手さんたちと手作りの少し個性的なコンサートを創り始めています。
「ノーギャラでいいのよ、楽しいことをしましょう!」励ましてくださるミュージシャンたちに力をいただいての遅いスタートです。 (続きを読む…)

時間が駆け足で過ぎて往きます。

齢を重ねて、もっと穏やかに豊かな時間を過ごしているつもりでしたのに思いのままにはいきません。
心も体もやっと元気を取り戻して春を迎えられそうです。 (続きを読む…)

新しい年を迎えて  駆け足で年の瀬が過ぎて、街には振り袖の着物姿の新成人が華やか姿が見られました。着物にも流行があるのでしょうか。最近は娘さんらしい穏やかで優しい花模様が多いようです。 私は、いつものお正月のように落語を聞きに行くわけでもなく、例年のように京都への旅をするわけでもない、ぼーっと時間を過ごして七草を迎えました。 (続きを読む…)

戦前の日本のような北朝鮮の独裁政治のニュースと秘密保護法の強硬採決のニュースに心を暗くしていたある夜、テレビで現在は韓国に住んで壁広告の絵を描いている脱北青年が話していました。「自分の国しか知らないから、政治に不満や疑惑を持ったではない。食べるものがないから、餓死したくないから家族と逃げた」そして生き残ったのは自分だけだったと。すぐ近くの国のことなのです。涙が止まりませんでした。

食べ物を捨てることが世界一の国、健康のために食べない、カロリー消費のために歩く・・・飽食の日本に暮らすことは幸せなのです。でもどこか変で後ろめたさが残ります。 (続きを読む…)

友人の娘さんのIさんからマウイ島で過ごしたバカンスの写真がきれいなアルバムになって送られてきました。

オレゴン州ポートランドに住むI夫妻から、「少し長い休暇が取れたのでマウイ島のコンドミニアムに行くのでよろしかったらご一緒に」のお誘いに甘えて友人たちと出かけました。幼い頃から60年以上のお付き合いの友人たちとの旅は、家族旅行のような気楽さで楽しいものです。 (続きを読む…)

私とシャンソン

私とシャンソンとの出会はいつ頃だったのか?考えてみました。若いころに、どのような人や物事に出会ったか。いろいろな出会いによって歩く人生が左右されるように思います。

私は幼いころからおよそ洋楽の世界とは無縁でした。プロスポーツの監督だった無骨者の父は、なぜかマンドリンを持っていいました。丸っこい小さな楽器を抱えて父の太い指が奏でるのは、決まって「君恋し」か「影を慕いて」の古賀メロディーで、それ以外の曲を聴いた憶えがありません。 (続きを読む…)